飛・べ・な・い

大好きな音楽と、折り合いをつけるべき生活について。

日記

2019.6.14

 

また期待を裏切ってしまった。もう何度目だろう。

そういう、人の盾になれることを期待されてその場にいるのに、何もできず、ただ立ち尽くしていただけだった。

なんでいつもこんなことになるのだろう。

いい人間になれるようにと思っている。思っているけれど、いざという時に勇気がなくて守ってやれない。

勇者とは勇気あるもの、真の勇気とは打算無きもの。相手が強いからといって出したり引っ込めたりするのは本当の勇気じゃない。

 

これほんとにずっしり響いています。

わたしには本当の勇気がないのだろう。いつもただ平和に何も起きなければいいと思っていて、無害ではなく、いざという時には却って逆効果になる事をしてしまう。。

 

最近貸していただいた本に得意な事をとことんやりましょうと書いてあった。

私の得意なことって何だろう?今は多くの仕事をただこなすだけになっていて、何が得意なのかわからない。

苦手なことはわかる。怒っている人と向き合うことだ。

そんなの誰だって得意ではないかもしれないけど、私の場合、子供みたいになって萎縮して相手が収まるのを待つしかできないのだ。

これってどうすれば克服できるんだろう。こんなんじゃ、誰のことも守れないよ。。

管理職になって、最大の壁はこれだと思っている。乗り越えなければならないデカい壁だ。

 

乗り越えられなければ、多分職場を去ることになるのだろう。

それもいいかもしれない。が、逃げ出したことはきっと、これからの私の人生を今よりももっと私のものから遠ざけることになるのだろう。

そして、誰かのせいにして前を向けず、呪われた人生の隅っこで立ち尽くすことになるのだろう。

 

自信が持てない、暗い私の人生。

優しい恋人は愛想をつかして私の元を去り、親はやがて死に、親友も去り(もう去ってしまった者もいる)、そしてただ、暗い沼の底へ、沈んでいくのだ。癒されていた音楽も聴かなくなって、虚しさを埋めるためにたくさん食べるようになって、醜く太って、動けなくなって糞尿を垂れ流すようになり、自らの肥溜めの中で、今までの人生、楽しいことや輝いていた季節なんかを思いながら、失われたことについて悔やみながら、醜く死ぬのだ。

 

そう、輝いていた季節へ帰れたらどんなにいいか。

 

少し前、自分の大学の頃の写真を見つけてそういう思いを強くした。誰にだってそういう感情はあるのではないかと思う。

わたしは、余りにも多く失ってきたのかもしれない。いや、もともと何も持ってなくて、積み重ねてもいなくて、今とんでもない壁にぶち当たって戦う勇気もなく、壁の方から低くなるのをただ立ち尽くして待っているだけだ。

 

そんな暗い感情も、残念ながらわたしにとって心地いいものになりつつある。

そしてそれが当たり前になった時、わたしはまずわたしの心を殺すのだろう。

 

いやもうすでに。。。